芸術的観点(笑)からみた東方
2009年9月18日 駄文東方は芸術作品といえるでしょうか?
私はもちろんYESだと思います。そもそもそうでなければあそこまで
イラストや音楽アレンジ等の芸術的同人活動として流行ることはないでしょう。
ではなぜあそこまで芸術作品として流行るのでしょうか、
そしてどうして芸術作品として言えるのでしょうか。
そもそも芸術的な物とそうでないもの、学術や娯楽としての作品の違いは
いったい何なのでしょうか。
私はその差はその作品に内在する「世界観」の有無。
そしてそれを楽しむのに必要な解釈の度合にあると思います。
学術的な論文と芸術としての小説の差は何でしょうか?
論文は作者のもつ意見を根幹としており、
小説は作者の表現したい世界観が元になっています。
ライトノベルと純文学の差は何でしょうか?
それらに内在する世界観を読み解くのに必要な解釈の差ではないでしょうか。
必要な解釈が少ないからライトノベルは娯楽として気軽に読めるのでしょう。
あらわれては消えていく現代大衆音楽とクラシックミュージックの差は
何でしょうか?これもライトノベルと純文学の差と同じく、
大衆音楽は一つの事象、感情を根幹としておりクラシックミュージックほどの
世界観がなく解釈の度合も低いです。
これらの観点から見ると東方は芸術作品といえるでしょうか?
神主の様々な書籍から見てわかるとおり神主もゲーム作品を作るにあたって
あくまで世界観に重きを置いていおり、
今回の星蓮船を見てもそれははっきりとしています。
特に私は6面道中~ボス戦にかけての演出の一貫性にとても感激しました。
道中BGM、ボス戦BGM、そしてキャラクター設定のテキスト。これらが完璧にラスボスである星のもつ人間像、世界観を演出しています。
これらの一貫した世界観・・・これが様々なクリエイターを東方にひきつけるものなのでしょう。
ただ、よいゲームに世界観が必要かどうかというと私はなくても良いと思います。
そもそもゲームはあくまで娯楽なのであり、娯楽として成立するのであれば世界観や解釈など必要ないでしょう。Nintendo 64で出てきた様々なゲームがあくまで娯楽に特化しており、そしてそれらが高い評価を得ているのが良い証拠です。
私はもちろんYESだと思います。そもそもそうでなければあそこまで
イラストや音楽アレンジ等の芸術的同人活動として流行ることはないでしょう。
ではなぜあそこまで芸術作品として流行るのでしょうか、
そしてどうして芸術作品として言えるのでしょうか。
そもそも芸術的な物とそうでないもの、学術や娯楽としての作品の違いは
いったい何なのでしょうか。
私はその差はその作品に内在する「世界観」の有無。
そしてそれを楽しむのに必要な解釈の度合にあると思います。
学術的な論文と芸術としての小説の差は何でしょうか?
論文は作者のもつ意見を根幹としており、
小説は作者の表現したい世界観が元になっています。
ライトノベルと純文学の差は何でしょうか?
それらに内在する世界観を読み解くのに必要な解釈の差ではないでしょうか。
必要な解釈が少ないからライトノベルは娯楽として気軽に読めるのでしょう。
あらわれては消えていく現代大衆音楽とクラシックミュージックの差は
何でしょうか?これもライトノベルと純文学の差と同じく、
大衆音楽は一つの事象、感情を根幹としておりクラシックミュージックほどの
世界観がなく解釈の度合も低いです。
これらの観点から見ると東方は芸術作品といえるでしょうか?
神主の様々な書籍から見てわかるとおり神主もゲーム作品を作るにあたって
あくまで世界観に重きを置いていおり、
今回の星蓮船を見てもそれははっきりとしています。
特に私は6面道中~ボス戦にかけての演出の一貫性にとても感激しました。
道中BGM、ボス戦BGM、そしてキャラクター設定のテキスト。これらが完璧にラスボスである星のもつ人間像、世界観を演出しています。
これらの一貫した世界観・・・これが様々なクリエイターを東方にひきつけるものなのでしょう。
ただ、よいゲームに世界観が必要かどうかというと私はなくても良いと思います。
そもそもゲームはあくまで娯楽なのであり、娯楽として成立するのであれば世界観や解釈など必要ないでしょう。Nintendo 64で出てきた様々なゲームがあくまで娯楽に特化しており、そしてそれらが高い評価を得ているのが良い証拠です。
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