再定義

2010年6月4日 駄文
最近練習前に自分に
「アメフトは仕事」と言い聞かせながら練習に向かっています。実際なんだか力が沸いてきますからね。ただこれは一種の逃げじゃないでしょうか?つまり、自分は何故こんな辛い練習をしているのかという議論からの逃避じゃないか?という事です。

では、自分は何故まだアメフトをしているのでしょうか?一つは自分の限界に対する純粋な興味です。

もう一つは、自分が留学中に確かに「何かを」を得たからです。確かに私の留学は友達も余り出来ず、成績も悪く卒業も危うくなってしまうような物でした。でもそんな留学のなかでも確かに私は「何か」を得たのです。そして、その「何か」が家庭の事情やら何やらで自分の将来がどうなるか分からない、そんな時私の未来を明るく照らしてくれた。そのお蔭でいまの私が此処にあります。

その「何か」を得る過程で、スポーツは絶対に切り離す事は出来ない事は確信しています。そして、その「何か」を誰かと共有したい。それが私がまだアメフトをしている理由です。

辛い時に自分自身の定義に立ち返る事の出来る自分は幸せな人間なのかも知れない。
いま、日本の敗戦から憲法制定の流れを勉強していますが、聞いていて心が痛いです。一通り授業を聞いていて思ったのですが、どの授業もかなり中立の立場で話してくれるのが有難いですね。この授業にしても、象徴天皇制や戦争の放棄を、占領統治のモニュメントとしてまとめていました。授業をしているのが小学校で校長をしている人なのですが、私の地元ではあり得ないのではないでしょうか、こういう校長先生。

こういう授業を受けても、全力で自国民を守ろうとしない国家に未来はあるのか?なんて思ってしまうのは私の持病みたいな物です。
一人の責任感のある天才の熟考よりも、百人の無責任な大衆の浅知恵が優先される政治体系。
べつに民主主義自体を批判するつもりは無いですが、それに参加している人に対して最近こうおもってしまいます。まぁ誰も責任なんか取りたくないし、面倒な事なんか考えたくないから民主主義なんでしょうが。
この責任の一端は教育にも在るのでしょう。

挑戦

2010年5月14日 駄文
大学に入って良かったと思える事の一つに、周りに挑戦が沢山有る事です。

勉強ではもちろん日々の授業ですね、特に数学の授業です。教科書やプリントに乗っているガロア理論やらユークリッド空間みたいな意味不明な文字を見ては、一体どんな物なのか、興味が尽きません。そして、それを理解した時一体どんな風景がみえるのか。

運動ではもちろんアメフトです。自分より強い人、速い人、上手い人が沢山います。単に負けず嫌いなのかも知れませんが、やはり周りにそういう人がいると燃えますね!それが年下ばかりとなるとそれはもう。運動における自分が主体となった挑戦はこれからの4年間が恐らく最後になるでしょう。常に挑戦者として、最後まで悔いの残らないように全力で向かっていきます。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm9995498
とてもタイムリーな話ですがやはり書かざるを得ない!
もちろん私は反対です、ヘタレ絵描きの一人として反対する。
この手の条例はやはりそういう表現をするしないにかかわらず
創り手の意欲を大いに減退させることは間違いありません。
(ピアノで言うなら自由に曲を作ったり弾いたりしていいが
この和音だけは決して弾いてはならないというようなものです。)

私がイラスト等の絵にハマったのはやはり無限の可能性に惹かれたからです。
東方のような素敵な世界に関する私の想像・妄想を、
スキルさえあれば何でも形にできる、その可能性です。
どのような形であれ、その可能性にリミットをかけてしまうのは、
これからの日本の世界に誇るアニメ・漫画文化に大きな
ブレーキをかけてしまうでしょう。

しかし、この問題のもう一つの点はやはり出版業界全体にもあると思います。
とうとう、この条例に関して出版業界全体がNoを表明したそうですが
(http://natalie.mu/comic/news/29214)
その一文にこのような物があります

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このような観点から昭和38年に設立された出版倫理協議会では、青少年に見せたくないコミックやグラフ誌に対しては、出版ゾーニングマークをつけたり小口シール止めを施し、書店、コンビニでの区分陳列や対面販売を徹底するなど自主規制に努めてきた。

しかし、今回示されている条例改正案は、業界のこのような自主規制の努力をないがしろにするものと言わざるをえない。
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たしかに努力はしていましたが、それは十分だったといえるでしょうか?
私はそうでないと思います、特に最近のライトノベルやBL本の傾向は
目に余るものがあると思っています。
文章の内容、挿絵の内容、あまりにギリギリのグレーゾーンで
金儲けをし過ぎているのではないでしょうか。
これはただの18禁本と大差ないのではないかというような物もちらほら・・・
今は、この条例を作ろうと推し進めるPTAや都議会に対する批判がメインに
なっていますが、こういう議論を呼び起こしてしまうまうような
出版物をたくさん世に出し続けてきた出版各社の責任も見逃せません。

なにはともあれ、このような条例が通ってしまわないことを切に願います。

イメージと嗜好

2009年10月18日 駄文
人間は物を好きにならない、物に付随するイメージを好きになるっていうのは
結構有名なことですが、これを意識している人っていうのは
あんまりいないような気がします。
これに関する話としては合成洗剤とかが有名なのかな?
本来は泡が出なくてもきれいに洗えるというのが合成洗剤なのですが
それでは「きれいになったような気がしない」と思う人が多く
中々売れなかったようです。
それではということでメーカーがあまり意味はないけど泡立つようにしたら
売上が倍増したとか。

いまの若い人に多い日本にいる一部の民族を毛嫌いする風潮も
これで説明がつきます。
(パチンコとかサラ金とかに関係しているらしいあの民族です)
私も大嫌いなのですがその嫌っている人たちの中で彼らの事を
真に理解している人は一体何人いるでしょうか?
反日教育を行っている、歴史のねつ造を行うという話はよく聞きますが
これらは事実なのでしょうか?
「実際にそういう人間に会った!」という人もいるかもしれませんが
それがもしかすると極一部の人間であるかも知れないという可能性を
考慮したことのある人はいないと思います。
ではなぜそんな状況であるのに、私を含め嫌いになることができるのでしょうか。
それはやはり、そういうその民族とそのイメージがあまりに硬く結びついている
からでしょう。
そうなるってしまうと、もうどんな理論的な考え、信頼のできるかもしれない情報も目に入ってきません。
私の例でいけば、もう彼らが実は善人かもしれない、実は日本に良いことをしているかもしれないなんていうことはどうでもいいです。
私にとって重要なのは、私はあの民族を嫌っているという事実であり。
他の人も私と同じように彼らを嫌いと思っているかどうかということです。

ニコニコ動画内でのブームなどにもこの現象がよく起きます。
例えばVocaloid動画なども、投稿時はそんなに人気なかったものが
有名な歌い手が歌ったとたん人気になったりします。
歌い手のうたったときにできたイメージがその本となった曲に合わさって
人気がでるのでしょう。東方がなぜこれほど幅広い層の人たちに人気があるのかも
これで説明がつきそうですね。

皆さんも何かに対して好き嫌いができたら、その奥にどんなイメージが
付随しているのか・・・考えてみると
ちょっと客観的な態度が得られるかもしれません。
何かを人に勧める時にも有効です。

結婚

2009年10月8日 駄文 コメント (3)
えー?結婚ー? ダッサーイ、時代は母子家庭よ、母子家庭
一緒に暮らしてても籍入れてなければお金がもらえるのよ。
もらえるものはもらっておかないとね!
離婚したら苗字が変わって世間の風当たりが気になるって?
大丈夫!ちょっと待ってれば夫婦別姓の法案が通るよ!
これで世間の目も気にしないで離婚できるね!
さぁ、みんなで国から税金を取り戻そう!!
家族の絆??寝言は寝て言えっつーの☆




これが民主党の言う友愛社会ですか・・・そうですか。
民主党に投票したみなさん、これから民主党のやろうとすることの責任
もちろんとってくれますよね?
え?知らなかったって。何言ってるんですか。
民主主義は大衆が賢いっていう前提で成り立ってるんですよ?
そんなこと言ってるようじゃ独裁制の方がいいって言われても
しょうがないですよね。
責任感のない数十億人の浅知恵よりも責任感のある一人の天才のほうが
数十倍役に立ちますからね。
実際キューバとかそれでうまくいってますし。
もちろん北朝鮮みたいな目も当てられない状況になっている国もありますが。

もっと日本を大事にしてくれとは言いません。
せめて家族、さらには家を大事にしてほしいと思います。
向こういる時友人に勧められて見始めたアニメ。
ハイ、私は日本人でありながらアメリカ人に勧められてアニメ見始めた人間です。
基本的に生では見ないでweb上で見ていた私ですがそのせいか
量は結構見ているはず。
涼宮ハルヒの憂鬱とかひぐらしみたいなメジャーな物から
エルフェンリートみたいな割とマニアック?なものまでジャンルはいろいろ
そんな中でかなりつぼに嵌ったアニメが
宇宙のステルヴィアです。
作画はかなり好き嫌いが分かれそうな感じなのですが
私は学園物に弱いのです!
これもストーリーは女の子が宇宙飛行士目指して
養成学校に通うっていう典型的な、
というかかなりコテコテな学園物なアニメです。
友達と競い合ったり、恋したり、悩んだり・・・
まさに学園物の王道、そういうのが好きな人はお勧め。
ストーリーは途中中だるみする感じがありますが
キャラが立ってて私はかなり好きでしたね!

東方は芸術作品といえるでしょうか?
私はもちろんYESだと思います。そもそもそうでなければあそこまで
イラストや音楽アレンジ等の芸術的同人活動として流行ることはないでしょう。
ではなぜあそこまで芸術作品として流行るのでしょうか、
そしてどうして芸術作品として言えるのでしょうか。
そもそも芸術的な物とそうでないもの、学術や娯楽としての作品の違いは
いったい何なのでしょうか。

私はその差はその作品に内在する「世界観」の有無。
そしてそれを楽しむのに必要な解釈の度合にあると思います。

学術的な論文と芸術としての小説の差は何でしょうか?
論文は作者のもつ意見を根幹としており、
小説は作者の表現したい世界観が元になっています。

ライトノベルと純文学の差は何でしょうか?
それらに内在する世界観を読み解くのに必要な解釈の差ではないでしょうか。
必要な解釈が少ないからライトノベルは娯楽として気軽に読めるのでしょう。

あらわれては消えていく現代大衆音楽とクラシックミュージックの差は
何でしょうか?これもライトノベルと純文学の差と同じく、
大衆音楽は一つの事象、感情を根幹としておりクラシックミュージックほどの
世界観がなく解釈の度合も低いです。

これらの観点から見ると東方は芸術作品といえるでしょうか?
神主の様々な書籍から見てわかるとおり神主もゲーム作品を作るにあたって
あくまで世界観に重きを置いていおり、
今回の星蓮船を見てもそれははっきりとしています。
特に私は6面道中~ボス戦にかけての演出の一貫性にとても感激しました。
道中BGM、ボス戦BGM、そしてキャラクター設定のテキスト。これらが完璧にラスボスである星のもつ人間像、世界観を演出しています。
これらの一貫した世界観・・・これが様々なクリエイターを東方にひきつけるものなのでしょう。

ただ、よいゲームに世界観が必要かどうかというと私はなくても良いと思います。
そもそもゲームはあくまで娯楽なのであり、娯楽として成立するのであれば世界観や解釈など必要ないでしょう。Nintendo 64で出てきた様々なゲームがあくまで娯楽に特化しており、そしてそれらが高い評価を得ているのが良い証拠です。

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