最近練習前に自分に
「アメフトは仕事」と言い聞かせながら練習に向かっています。実際なんだか力が沸いてきますからね。ただこれは一種の逃げじゃないでしょうか?つまり、自分は何故こんな辛い練習をしているのかという議論からの逃避じゃないか?という事です。
では、自分は何故まだアメフトをしているのでしょうか?一つは自分の限界に対する純粋な興味です。
もう一つは、自分が留学中に確かに「何かを」を得たからです。確かに私の留学は友達も余り出来ず、成績も悪く卒業も危うくなってしまうような物でした。でもそんな留学のなかでも確かに私は「何か」を得たのです。そして、その「何か」が家庭の事情やら何やらで自分の将来がどうなるか分からない、そんな時私の未来を明るく照らしてくれた。そのお蔭でいまの私が此処にあります。
その「何か」を得る過程で、スポーツは絶対に切り離す事は出来ない事は確信しています。そして、その「何か」を誰かと共有したい。それが私がまだアメフトをしている理由です。
辛い時に自分自身の定義に立ち返る事の出来る自分は幸せな人間なのかも知れない。
「アメフトは仕事」と言い聞かせながら練習に向かっています。実際なんだか力が沸いてきますからね。ただこれは一種の逃げじゃないでしょうか?つまり、自分は何故こんな辛い練習をしているのかという議論からの逃避じゃないか?という事です。
では、自分は何故まだアメフトをしているのでしょうか?一つは自分の限界に対する純粋な興味です。
もう一つは、自分が留学中に確かに「何かを」を得たからです。確かに私の留学は友達も余り出来ず、成績も悪く卒業も危うくなってしまうような物でした。でもそんな留学のなかでも確かに私は「何か」を得たのです。そして、その「何か」が家庭の事情やら何やらで自分の将来がどうなるか分からない、そんな時私の未来を明るく照らしてくれた。そのお蔭でいまの私が此処にあります。
その「何か」を得る過程で、スポーツは絶対に切り離す事は出来ない事は確信しています。そして、その「何か」を誰かと共有したい。それが私がまだアメフトをしている理由です。
辛い時に自分自身の定義に立ち返る事の出来る自分は幸せな人間なのかも知れない。
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